不況のアメリカで就職活動(1)

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09のIMです。このブログを通じMBA留学の素晴らしさ、Kelloggの素晴らしさを出来るだけ多くの日本人受験生の方にお伝えしようと一年生の頃から暇を見つけてはちょくちょく記事を書いてきたが、この半年間は時間が全く取れず、執筆できずにいた。ここから卒業まで出来るだけ時間を作ってその分を取り返すべく少しずつ記事を書いて行こうと思う。

夏以降の半年の間、涙抜きには語れぬ、入学以来最も辛く忙しい時間を過ごしていた。何をしてたかと言うと、海外経験ゼロの典型的純ジャパ純ドメという致命的なハンデを背負いながら、米国内での就職を目指し、無謀にもこの大恐慌、人員削減の嵐吹き荒れる、就職超氷河期真っ只中のアメリカで、アメリカ人の中に混ざってガチで就職活動をやらせて頂いていたのだ。

冬休みに入って就活も一段落し、この半年を振り返るだけの心の余裕と時間が出来たので、その様子(というか悲惨さ)を掻い摘んでお伝えしようと思う。IMG_1446.JPG

 日本人の米国での就職活動

もしかしたら受験生の皆様の中にも同様にMBA卒業後に米国、または海外での就職をちょっとでも考えている方もいらっしゃると思うし、また自分自身、もっと多くの日本人がMBA留学の2年だけに留まることなくその後も(短期的にせよ長期的にせよ)積極的に海外に出てキャリアを積む/異文化の中で武者修行を積むべきで、そういう人材が増え、グローバルに戦える経営プロフェッショナル/リーダーの層を厚くすることが日本の未来に取って絶対に必要なことだと強く信じていることもあり、是非ともこの体験はどこかで共有したいと思っていた。

一方で、現実的には(特に純ドメの日本人にとっては)アメリカでの就職活動は極めてハードルが高く、それを本当に実行に移す人も限られており、過去にもこの辺の実態に関する情報や、どうやって戦うべきかという戦略/戦術の話が世の中にほとんど出回ってないという問題意識を強く感じていたこともあった。

(ちなみにここで言っているアメリカでの就職活動というのは、ボストンキャリアフォーラムなどで募集している、日本企業の米国支社の現地採用というポジションではなく、On campusやOff campusでアメリカ人をメインターゲットにしている/または国籍とは関係なく採用している、米国企業の米国本社採用ということ。)

その辺を踏まえ、今回のアメリカでの就職活動の体験からの学び、失敗談などをつらつらと書かせて頂こうと思う。この記事が将来同じように海外でのキャリアを追求する道へと踏み出される日本人MBAの方にとって、少しでもお役に立てれば幸いです。

(ちなみに本内容、Kellogg在校生ブログのスコープから少し外れる内容かな?とも一瞬思いましたが、こういうのも知りたい方もいらっしゃるでしょうし、そしてこれもまた一日本人Kellogg生の『リアル』ということで、敢えて寄稿させて頂くことにしました。どうかご了承下さい。)

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そもそもなんでまたそんな無謀な(見方によってはぶっちゃけ大分痛い)ことをやろうと思い立ってしまったのか。極めて個人的な話で恐縮だが、その辺のいきさつをちょこっとだけ書かせて頂こうと思う。

Globality

一年生の冬、丁度一年前くらいからだろうか。卒業後に日本に帰らず、しばらくの間海外、特に米国に残って経験を積むことを真剣に考え始めた。

Kelloggでの一年目を通し、今後10年20年で世の中がどう変わっていくのかについて深く考えさせられてきた。日本や米国の相対的なポジションがどんどん落ちて行き、中国やインドが、そう遠くない将来経済規模で日本の5倍、10倍というレベル感で、とんでもなく大きな存在になっていくと言う、誰もが知っている事実を、ファクトや数字も含めて、現場感を伴った形でリアルに見せ付けられてきた。

また、日本で戦略コンサルタントとして働く過程で、日本を始めとした先進国のマーケットが伸び悩み、企業や個人の間での過当競争がいよいよ深刻になり、組織に閉塞観が漂うのを目の当たりにして来た。事業別の収益性を分析すると、国内の事業はことごとく赤字で主にアジアをはじめとした新興国の事業がほとんどの利益を稼いでるという状況をいくつも見てきた。

円高に乗じ、海外進出の足掛かりにとローカルの企業を買ったはいいが、いざ気づいてみると日本の外でリーダーシップを発揮し、戦略を考え、経営が出来る人材が社内に全くいないという現実に気づいたという日本企業の話を複数聴いてきた。

"グローバル経営人材"の必然性

そんな中、今後10年間で、英語を使い、(そして単純に英語が喋れる、というレベルとは全く違う次元で)グローバルな環境で経営が出来る人材、異文化の中で組織と人を動かし結果を出せる人材になることが、ビジネスパーソンとして極めて重要な意味を持ってくること、そしてその状況が今も加速度的に強まりつつあることが何となく理解出来てきた。

また、(あらゆるメディアで死ぬほど言われてることだが)今後、企業の競争も、個人の競争も、どんどんグローバルな一つの土俵の上での戦いになっていくということ、日本の社会の中で、「これだけ優秀です、これだけの実績があります」ではなく、それが、周りにいる他のアメリカ人や、中国人や、インド人と比べてどうなんだっけ?という戦いに強制的になって行くということを強く実感させられた。

そんな中、自分が当初留学前に描いていたプラン通り、卒業後なんとなく日本に帰ってしまい、日本に閉じた形で、日本人だけを相手に、日本語をベースにして、日本での経営/戦略のことだけを対象にして30代の10年間のキャリアを積むことは、実は人生設計上極めてリスキーなことなんじゃないか、ロングタームで見た機会損失が大きすぎるんじゃないかとすら思い始めた。 

IMG_1466.JPG自分が将来のキャリアをエキサイティングなものにし続け、本質的な価値を生むことが出来る、差別化された貴重な人材であり続け、いろんなキャリアオプションを持ち続けるためには、やはりどうしても今このタイミングで日本の外で武者修行を積むべきなんじゃないかと考えるようになった。

また、日本以外の国から来ている留学生たち(特にインドや、中国や、南米や東南アジアからの留学生たち)が、決して完璧ではない英語であってもそんなのものともせずに、当然のように米国やヨーロッパで就職活動をし、身軽に国境を越えていく逞しさに刺激を受けたりもした。

「世界で通用する日本人」

(この辺は正直相当青臭く聴こえるかも知れないですが...)

自分は、イチローや野茂や中田や(NBAの)田臥をはじめ、スポーツや芸術や学問といった、いろんな世界で、リスクをとって、それまで日本で築き上げて来た成功や名声や報酬を捨て、日本を飛び出し世界の舞台にチャレンジする日本人たちを見て、強い尊敬の念を抱き続けてきた。

また日本の外に出てみると、こちらのメディアで取り上げられる日本人と、日本のメディアで取り上げられる日本人の顔ぶれがかなり違うことに気づいた。バレエダンサーの熊川哲也やアーティストの村上隆や(ちょっとトリッキーなところでは)早食いの小林尊など、(どっちかっつうと僕自身の不勉強と無知が原因って話はありますが)日本ではそこまで意識していなかった人たちが海外で物凄く認知されリスペクトされてることを知った。

子供の頃から胸にずっと抱き続けていた、「どんな世界で生きることになっても、世界の舞台で通用し、認められるような人間になりたい」という想いが自分の中で再び大きくなっていった。

IMG_1497.JPG新たな挑戦への渇望

留学まで、日本で6年間同じ仕事を続け、仕事に慣れるに連れ、新たなチャレンジが逓減していき、入社当初に感じていたような刺激や興奮を感じなくなってしまっていた。(だからこそ、自分探しのためにMBAに来たというのもある。)

そんな中、卒業してまた日本に戻り同じ仕事をするのかと思うと、正直全くワクワクしない自分がいた。通用するかどうか解らないけど、自分が限界までストレッチせざるを得ないような、それでも尚勝てるかどうか解らないような、毎日ワクワクドキドキしながら過ごさなくてはいけないような、そんな全く新しい環境、チャレンジに身を置いてみたいという思いが抑えがたくなっていた。

Once in a lifetime

加えて、アメリカで就職活動をするという意味では、就労ビザや人材市場の仕組の問題から、一度日本に帰ってからこちらの仕事を探すのはほとんど不可能で、一生の中でもMBA卒業直後のこのタイミングを除いてチャンスはもう二度と訪れないことも知った。日本に帰って数年した後に米国内の仕事を探していて大苦戦している先輩たちが、「一度日本に帰るともうほぼ無理だから、行くなら絶対に卒業直後に残れ」と強く薦めてくれた。年齢的なことを考えても、国外でのキャリアを本気で追求する上では、実質的に人生で最後のチャンスだった。

もちろん、仕事が見つからずに路頭に迷うリスクを考えると、余計な挑戦などせずに素直に日本に帰るというオプションもロジカルに十分考えられた。でも、その後何年か経って、赤坂あたりの飲み屋で、「ああ、あの時何で踏み出さなかったんだろ!」とくだを巻いている自分、メジャーリーグやUFC(総合格闘技のメジャーリーグ)やブンデスリーガに挑戦する若い日本人アスリートのニュースをテレビで見る度に、「ま、俺もやろうと思えばやれてたんだけどね...けっ!」とか言いながらジェラシー満載で後悔を紛らわせてポン酒を呷っている自分の姿がありありと目に浮かんだ。

人生を後悔すると言う最大のリスクを避けるためにも、どうしてもここで納得がいくまで挑戦しておきたいという気持ち、「全力でやってダメなら諦められる。でも、やらずに諦めたら一生後悔する」という愚直な想いが、安定を求める気持ちを上回った。

(ま、もちろん、超個人的な理由もぶっちゃけあって、アメリカのスポーツが最高過ぎて、それを味わえるのがたったの2年だけってのもちょっと勿体無いなあ、もうちょい見てたいなってもの正直ありました...アメリカのバスケ、アメフト、野球、ラクロス、総合格闘技、X-Sportsはマジ最高過ぎっす。レベル高いし試合も熱いし、選手一人ひとりのドラマ・生き様も泣かせてくれるし。ホントに。個人的には、毎日日本シリーズの最終戦とか、甲子園の決勝戦並みの試合をテレビで見てるくらいのテンションです...)

IMG_1488.JPG決断

それらの想いに端を発し、その後いろいろ悩み続け、自分自身との会話を続けながら、学校の就職課のカウンセラー、いろんな先輩方やヘッドハンターたちと話をしながら、家族とも相談しながら、最終的に米国での就労を目指し、夏休み以降就職活動をすることにした。

夏休みに実際にアメリカで仕事をし、何とか英語で仕事が出来そうだという自信が得られ、同時に仕事を通して英語を使えば学校で過ごすよりも遥かに速い速度で上達するということを理解できたことも背中を押す大きな材料になった。

派遣元の会社とも相談した上で頭を下げ、社費の立場を辞退させて頂くと共に、夏休みのタイミングで正式に会社を退職させて頂き、私費に切り替えることにした。

...なんて書くとサクッと決めたみたいだが、実際のところ最後の最後まで無っ茶苦茶迷った。

幸か不幸か、まだ夏の時点ではただの「不況」に過ぎず、「恐慌」とまでは至ってなかった。それでも、当然の事ながら仕事を見つけられずに路頭に迷うリスクも高く、正直言って我ながらリスキーだと思っていたし、多くの人から「アメリカで就職するなんて馬鹿げてる、無理だ、辞めておけ」と言われた。

特に、自分が勤めていた会社は多くのMBAホルダーの方が働きたいと思って下さるプロフェッショナルファームだったこともあり、他の多くの同級生や元同僚からは「勿体無い」「俺がお前だったら絶対に辞めない」と散々言われた。

それでも最後は、自分がこれまで得た全ての情報を元に自分の頭でじっくり考え、そして何よりも、自分が何をやりたいか、何に燃えられるか、何を信じられるかという心の声に耳を傾け、最終的に自分自身しか自分の人生に責任を取ることは出来ないという信念の下、人生を賭ける覚悟で、アメリカ人の中でガチで就職活動をしてみることにした。

リソース分散を避ける意図と、本気(マジ)モードのコミットメントを担保するため、保険としての日本での就職のオプションは完全に切り捨て、100%米国のみに集中するという背水の陣で挑んだ。

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想定外...

...と、ここまでは、見方によってはちょっとだけカッコ良かったかも知れない。

が、それ以降、文字通り地獄のような半年間を過ごすことになってしまった。

恐らく去年以前の経済状況の中であったとしてもかなり苦しい戦いになっていたと思う。そこまでは想定していた。それでもまあ、自分のバックグラウンドを考えれば、きちんと戦略を立ててやることをやれば、まあ、どこかには就職できるっしょくらいに思っていた。緊張感を持ちながらも、心のどこかに絶対に何とかなるという楽観的な気持ちがあった。

ところが、ご存知の通り、9月の金融危機以降、全く違う世界になってしまった。ゲームの前提条件ががらりと一変してしまった。

「ま、不況っつっても何とかなるよ」が、日に日に、そして加速度的に、「おっ、思ったよりもしんどいかもね」、になり、秋が深まるにつれ「これマジでやばいかも」、になり、最後は「%_#*&$☆#!!!」になった。

阿鼻叫喚

例年であれば投資銀行やPEに就職していた、学生全体の2-3割を占める金融志望の学生がほとんど全員就職先が見つからぬまま人材市場に投げ出され、残りの2-3割を占めるコンサルティングファームもフルタイムの採用をほとんど打ち止めてしまった。残された事業会社も、大規模人員削減に着手する企業も少なくない中、徹底的に採用数を絞り始めた。面接のために毎日スーツで登校していた生徒たちの顔が日に日に暗くなり、多くの企業から「今年は採用をフリーズしました。ごめんね」というメールが送られ、会社説明会や面接の取消が相次いだ。

例年であればサマーインターン後のフルタイムのオファーを敢えてアクセプトせず、「えー、どうしよっかなー、私ーもっと自分に合った仕事に就きたいしー」と言って2年生で別の会社を受けていたような連中も、今年ばかりは椅子取りゲームの限られた席をとっとと確保すべく秒殺でサインしていた。

秋口には「今年はフルタイムは採用無くて大変だねー、でも僕たちはサマーでオファー貰ったからもう就活する必要無いしー」と勝ち組気取りだったコンサルサマー組も、コンサルティングファームの異常な低稼働率、年明けの大量解雇の噂、911後の内定取消の前例を聞き、次第に不安になって行った。

授業やグループワークに出ずに就職活動を続ける学生も増え、人によっては就活の話を訊く事すら憚られる雰囲気になってきた。アメリカ人の優秀な生徒ですら、卒業後まで仕事が見つからずに無職で就職活動を続けなくてはいけないという覚悟を決め始めた。メンタルにかなりヤラれてるなーという同級生もちらほら出始め、学校からも積極的にカウンセラーに相談するようにとのお達しが出た。米国就職を夢見ていた多くのインターナショナル生が、厳しい現実に打ちのめされ、米国での就職を諦め、自国のオポチュニティーに絞り始めた。

そんなこんなで、特にこの11月以降、正にちょっとした地獄絵図な気配が漂い始めていた。(ちなみに就職ではかなり強いとされる上位校のケロッグですらそうなのだから、2nd tier以降の学校はもっと厳しい状況になっているのではないか)

IMG_1482.JPGそんな中での「外国人(しかも非英語圏出身でアメリカでの教育・就労経験ゼロ、グリーンカードも無けりゃ就労ビザもねえという三重苦)」としての自分の就職活動は、正に凄惨を極めた。「ま、洗濯機の中に飛び込んでぐるぐる回されながらもオファーレター一枚拾って来りゃいいんでしょ?」と思って踏み入れてみたら、実は家や車もぶっ飛ばしちゃう巨大竜巻だったことが判明して口あんぐり、みたいな、笑うしかない状況だった。

そんなこんなで約半年、身も心もズタボロになった。今までの人生の中でも最もぶっちぎりで劣勢な戦いだった。これまでも結構きつい戦いは有ったが、それなりに勝機はあったし、賢く努力すれば、まあ、大体何とかなった。でも、今回だけは全く違った。100回戦っても100回負ける可能性が極めて高いことが戦う前から判っている状態で、それでも尚前を向いて竹槍片手に向かって行かなくてはいけないゲームだった。「こんなことになるんだったら会社辞めずに日本に戻っておけばよかったのか?自分は間違ってたのか?」という後悔の念が就職活動中に何度も頭をよぎった。

と、長くなってしまったので今回はこの辺で。次回以降、具体的にどんな感じだったのかをお話しようと思います。次回の記事はこちら

IM Class of 2009 

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このページは、IM Class of 09が2008年12月29日 14:32に書いたブログ記事です。

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